大乗寺丘陵公園

今年は活動が低調なのに、結局桜の下には一二度しか立てず、それも名所とかでなく街角の一角という体たらく。
もたもたしているうちに桜の季節はアッという間に過ぎて車窓から横眼で見るという、いつものパターンに。そしてゴールデンウィークがやってきました。実は混雑を避けるつもりで4月半ばに倶利伽羅峠の八重桜を観ようと家族で出かけたのですが、さすがに早すぎて、山桜の幾つかは見られましたが八重桜は蕾のまま。。高岡で初めて家族で満開を越えた桜並木の下をちょこっと歩いて、二人のご要望で高岡イオンに寄ってきました。

金沢から県境を車で抜けるには、国道8・359・304号、県道27号、湯涌道、旧北国街道の天田峠越などで行けるんですが、僕も目的地次第で使い分けているんですが、年明けの震災ではこの石川・富山間の道路も多くが土砂崩れなどで寸断されていました。今回の震災は能登や内灘の道路が被害を受けて、大きな支障をきたしていますが、実は石川・富山の連絡道路も断たれて、交通網には大きな問題になっていました。2月には主要道の8号線は全線開通しましたが、山岳路の多くはまだ全線開通になっておらず、迂回路も非常に解り辛くなっています。実は山越えで砺波・小矢部に抜けて北国街道をと思ったんですが、359号が途中通行止で、迂回路から8号に廻って走るだけで終わってしまいました。

改めて家族の休日が揃った4/28。開花から満開から散るまでの足が早い八重桜は逃してしまいましたが、八重桜がダメならツツジがあるということで、ツツジの名所を二カ所巡ってきました。まず最初に訪れたのは、、金沢南東部にある大乗寺丘陵公園
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大乗寺丘陵公園は、曹洞宗の大乗寺の南側、加賀藩主墓所を頂点にした金沢の墓地集積地・野田山から西に連なる丘陵斜面を利用した公園になります。散策路が多く施され、冬・椿、春・梅・桜・ツツジ、夏・紫陽花、秋・萩の園地があって、四季それぞれに散策と花が観られます。
なんといっても丘陵地帯なので、西には金沢を一望できる好スポットで、特にツツジ越しにみえる市街地が美しい・・
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メインとなる5品種13000株ツツジを観に来たほとんどの人たちは、西側の下部駐車場(155台)に停めるためこの日は満車でしたが、公園面積が22.5ha(7万坪)と広く、ツツジの園地も1.65haと広いので、分散して人混みはそれほど感じられません。他にも大乗寺側の中部駐車場(130台)、公園最上部の上部駐車場(165台)があるのでご安心を・・
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園地西側の白のツツジはまだ六分という感じですが、赤やピンクはまさに満開。
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DSC_9544.JPG丘陵公園の入口は徒歩で登る西側に大階段があります。階段下の道路は金沢の東部の山裾を縫うように走る山側バイパス道路。右画像の白い車があるのが、下部駐車場の一段目駐車場。この階段も上下で撮影の人気スポットですが、日当たりが良すぎるので、花の散るのも早いので要注意

ここからは、ツツジの画像を・・・
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んっ@@もう紫陽花?でも花が小さい@@;
帰ってから調べたら、͡小手毬(コデマリ、別名スズカケ)、バラ科シモツケ属。ユキヤナギの仲間らしい。。
どこかのワンチャンが穴掘りに夢中^^;
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こんな広い芝生広場も・・GWの狭間の平日日中に来ると、近くの保育所・幼稚園・こども園の園児たちや小学生が園外活動で走り回っています。芝生広場の手前は彫刻の丘、右の作品は得能節朗作「希望・友愛」オーソドックスな人物彫像はこれだけ、ちょっと解り辛いですが画像中央の丘の向こうにトーテムポールみたいな作品が@@前衛的な近代美術作品5基あります。
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あじさい園の側にある彫刻作品 「Gravitation」大井秀規作
大井氏は山口県宇部市出身(金沢美工大大学院卒)の彫刻家。重量感のある石材を使った作品が得意みたい。
この作品の題名も和訳で「重量」「万有引力」
撮影位置が悪くて^^;実は三本足^^;

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公園名の頭に冠する大乗寺は公園の北東隣にある曹洞宗寺院になります。
大乗寺の創建は弘長3年(1263年)加賀冨樫家が真言宗寺院として創建したことに始まり、弘安6年(1283年)永平寺3世・徹通義介(てっつうぎかい)を迎えて曹洞宗寺院と改宗しています。創建当時は野々市の高橋町(のと共栄信金横の墓地)にありました。右上画像の階段から真っすぐ東の3キロほどの場所になります。
ファンシイダンス 原作:岡野玲子 監督・脚本:周防正行 本木雅弘・映画初主演作
主題歌 プリンセス・プリンセス 恋に落ちたら(LOVERSから)
日活のピンク映画監督だった周防監督の一般映画の初作、次回作の「遊びの時間は終わらない」「シコふんじゃった」と本木君を主役に立て続けにヒットして地位を固めた記念作品。
この映画のロケ地が大乗寺になります。初監督作品で現代と宗派の考証もしっかりしていています。
冬に各家を廻る寒行托鉢も描かれていて金沢の風物詩。 
徹通義介は道元の深草興正寺時代に、師・懐鑑と共に日本達磨宗から合流参加。永平寺では要職の六知事(永平寺を運営する担当者、都寺(つうす)・監寺(かんす)・副寺(ふうす)・維那(いな)」・典座(てんぞ)・直歳(しつすい))の一人となっていました。道元死後は2世・孤雲懐奘(こうんえじょう)に師事。懐奘の指示で南宋に派遣され禅宗の祈祷や清規(しんき、禅宗の規則)を学んで帰国、永平寺3世住持に就任、今に続く永平寺の祈祷・清規を整備しています。

しかし三代争論と呼ばれる改革派・保守派の争いとなり、争いの責任を取って永平寺門外に母親と隠棲謹慎、改革・保守双方に人気のあった懐奘が住持復帰していました。懐奘死後に改めて住持復帰したものの三代争論が再燃、解決することができなかった責任を取って永平寺を去っています。永平寺では保守派・義演が住持に就任したもののその後も争論は治まらず、改革支持の波多野氏を筆頭にした檀家も離れて行き、更には大火によって伽藍が焼失するなど寺勢が廃亡寸前に追い込まれます。義演死後、筆頭檀家・波多野氏や永平寺門徒の招請で、越前大野の宝慶寺2代住職・義雲(ぎうん)が永平寺5代住持に就任し、次代の曇希(どんき)が宝慶寺との兼職で、大本山として復興を果たしていきます。
三代争論や宝慶寺については⇒ 2022.09.24 薦福山 寶慶寺
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大乗寺総門(別名:黒門) 
2009.09.13撮影
義介は通説では越前出身と云われていますが、加賀の富樫一族の出とも云われていて、その縁で大乗寺に受け入れられたと思われます。その後、冨樫氏は大乗寺を菩提寺として曹洞宗を支持・擁護して、義介死後の曹洞宗の能登への進出も後押ししています。

大乗寺に移住した義介は、四国を修行巡業中の愛弟子・瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)を後継者として呼び戻し、弟子の協力を得て大乗寺を整備して、 延慶2年(1309年)90歳で示寂。荼毘地碑が野々市西部の太平寺町にありますが、墓所は不明。
大乗寺2世となった瑩山は、能登に布教を広げ永光寺を拠点に、門前の地に曹洞宗のもう一つの大本山となる総持寺を創建しています。近代の明治に大火の焼失で、門前総持寺祖院として横浜市鶴見に総持寺本山を移しています。つまり、曹洞宗・総持寺派の発祥が大乗寺になるわけです。瑩山の弟子から曹洞宗は大きく布教範囲を広げ発展を遂げます。国内の寺院の数は曹洞宗が最多とされますが、その8割は総持寺派から派生しています。この功績から曹洞宗寺院では開祖・道元と太祖・瑩山として二人を並べて祀っています。

大乗寺は富樫氏の保護を受け、寺地も大きく発展します。その寺域は貞和2年(1346年)押野庄の地頭・富樫家善から田地5町と敷地の寄進状「限東山王西江、限南富樫堺、限西白山大道、限北敷地堀」とあり、その範囲は家善の押野館跡があった押野3丁目・本町1丁目・横宮町・金沢市横川1丁目の範囲と推測されています。

長享2年(1488年)高尾城で敗死した加賀守護・富樫政親の遺体も大乗寺に運び込まれて葬儀が行われたという記録も残っていますが、富樫氏本拠内にあったために戦国期には戦乱に巻き込まれ詳細が不明になっています。一向一揆、織田信長の侵攻などで戦火に遭い戦国末期に木新保?(金沢駅前、金沢市此花(このはな)町もしくは本町)に移転疎開、廃寺寸前に追い込まれていました。
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大乗寺山門(別名:赤門)
2009.09.13撮影
復興の先駆けは江戸初期に加賀藩家臣・加藤重廉(3500石)が屋敷地を寺地として提供したのが始まりで、後に加賀八家・本多家菩提寺となって現本多町に移転。元禄10年(1697年)に加賀藩主墓所の野田山に隣接する、当時は寺地山と呼ばれた長坂の地に移転しています。境内地には本多家の他に、能登畠山氏・加賀冨樫氏の墓所・菩提寺となっています。

ちなみに荒廃していた大乗寺の救いの神となった加藤重廉は尾張時代に織田信長に仕え、柴田勝家配下、柴田家滅亡後には丹羽長秀に仕え、長秀死後に佐々成政の許に向かう途中で前田利家の説得で加賀に仕官しています。大聖寺の役で活躍。大阪陣では息子二人がともに手傷を受けるなど武門の家でもありました。重廉は人持組上席に列席と加賀藩内での重鎮となったものの、慶長7年(1602年)10月金沢城初代天守が炎上した際に、火薬庫爆発に巻き込まれ翌年正月に亡くなっています。加藤本家は曽孫時には400石に衰退、元文6年(1741年)に無嗣断絶しています。
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大乗寺法堂
2009.09.13撮影
大乗寺2世として寺院を整備し、能登門前に総持寺を創建して総持寺派を立ち上げた瑩山。若き瑩山が修行の旅に出る前に義介の指示で、開祖・道元の中国での弟弟子であり、来日して道元が死ぬまで行動を共にし、道元死後には永平寺を離れ20年近く山中で座禅修行に徹した宝慶寺初代住持・寂円(じゃくえん)の教えを乞うことを命じられていました。宝慶寺で教えを乞うた瑩山は寂円に気に入られ修行の心得と教育助言を受けます。義介の招聘を受け加賀に向かう途中では寂円に代わって他の僧侶への代行講師になるほど信頼を受けており、寂円最期の弟子となっていました。
前述した永平寺復興を遂げた中興の祖・義雲は、寂円の一番弟子として宝慶寺を継ぎ、永平寺5世住持となってからは、道元の修業優先を保持しながら清規や檀家との融合を図っていました。晩年になって住持職を宝慶寺の弟子・曇希に譲って宝慶寺に戻って示寂、寂円の墓所の横に葬られています。

永平寺5世・義雲大乗寺2世・総持寺初代・瑩山は、永平寺派と総持寺派という二大本山に別れたものの、師弟関係でいえば、道元の曹洞宗を純粋に引き継いでいた宝慶寺初代・寂円一番弟子・最期の弟子という兄弟弟子だったわけです。他宗派では東西本願寺や日蓮各宗のような相克ではなく、永平寺・総持寺両派が同じ曹洞宗として協力関係を構築してきたのはこの二人の関係にあったと思われます。現代でも、両本山のトップは永平寺・総持寺貫首と呼ばれますが、その上部となる曹洞宗管長は2年ごとに永平寺・総持寺貫首が就任しています。現在は今年1月に永平寺貫首・南澤道人禅師が就任しています。

トップに紹介した映画「ファンシーダンス」が大乗寺をロケ地とした時の住職が板橋興宗禅師。
ちなみに以前、猫寺として紹介した御誕生寺を創建した人物ですが、昭和56年(1981年)から平成9年(1997年)まで大乗寺の住職を務めていました。明治の加賀藩保護がなくなり、更に戦後の檀家離れで衰退した大乗寺を復活させた人物として知られています。マスコミへの積極的な取り込み、老人や身体の不自由な人への椅子座禅を提唱するなど、現代の僧侶の名前などほとんど知らないもしくは無視する僕が、尊敬できる僧侶として記憶していた人物です。現在の大乗寺の現状の停滞を見ると、板橋禅師のような方の住持再来を期待したいものです。
板橋禅師は平成9年に総持寺副貫首、翌年(1998年)貫首・曹洞宗管長に就任。5年後に引退して総持寺祖院住職。その後、御誕生寺を創建して移っていました。嫁さんと一緒に御誕生寺を訪れた翌年(令和2年(2020年))7月、93歳老衰で逝去。

大乗寺総持寺派の発祥地という重要寺院ですが、永平寺派においても末寺の最高位・四門首の寺院としていて、総持寺・永平寺双方の重要寺院となっています。ちなみに四門首は越前大野の宝慶寺・金沢長坂の大乗寺・肥後野田の大慈寺(江戸幕府宗門改革まで寒巌派・九州大本山)・宇治の興正寺(曹洞宗最初の寺院・道場、京都深草でしたが道元の越前永平寺移動で廃絶、江戸初期に宇治に再興)になります。

元・九州大本山の大慈寺の名が出たので、その辺りを・・
前述のように江戸期になるまで曹洞宗には四つの大本山があり、独自の動きを取っていました。現在の二大本山・永平寺(越前)、総持寺(能登)九州本山の大慈寺奥羽本山の正法寺(現岩手県奥州市)。
永平寺・総持寺の流れは前述の通りですが、正法寺の創建は貞和4年(1348年)、瑩山の跡を継いで総持寺2世となった峨山韶碩(がざんじょうきん)の弟子で、蛾山から道元の袈裟を贈られ、永光寺の住職も務めた無底良韶(むていりょうしょう)の手になります。この際に北朝3代・崇光天皇から「出羽奥州両国に於ける曹洞の第三の本寺」という綸旨紫衣着用の許可を得て本山格となります。しかし法統の後継者のないままに康安元年(1361年)良韶が死去。蛾山が奥州出身の弟子・月泉良印を2世住職に指名、改めて出羽・奥州の本山許可を与えて、曹洞宗第三の本山・道場とされていました。

九州大本山とされた大慈寺の創建は寒巌義尹(かんげんぎいん)によります。義尹は父親が後鳥羽上皇とも順徳天皇とも云われますが、現在は順徳天皇というのが通説になっています。4歳の時の承久の乱で後鳥羽が隠岐、順徳が佐渡に流罪となったために後ろ盾を失い、14歳で出家、比叡山で天台教学を学び、24歳で曹洞禅を創始した道元の深草興正寺に参加しています。前述の懐奘や義介、中華から渡海した寂円と同じ時期になります。道元の越前移動や永平寺創建にも参加しています。道元晩年に南宋へ留学しますが、道元死去の為に1年で緊急帰国。その後は義介と同じく懐奘に師事していました。
九州信者からの要請で肥後に赴任し宇土に如来寺を創建。更に南宋に再び留学、その際に道元語録を持参して、中華に道元の曹洞禅を紹介しています。3.4年後に帰国したものの、三代争論に揺れる永平寺には戻らず。肥後野田に大慈寺を創建し、後に後宇多・亀山上皇の祈願・勅願所となって九州大本山の地位を固め、永平寺や総持寺とは一線を隔した独自路線を進めていました。
江戸期になるまでこの四大本山制になっていたのですが、江戸幕府の宗門改革で、戦乱で衰退していた大慈寺・正法寺をそれぞれ永平寺・総持寺にに組み込んで、曹洞宗は二大本山制として、現代にまで続いているわけです。

旅行日 大乗寺丘陵公園・2024.04.28 
    東香山 大乗寺・2009.09.23





この記事へのコメント

  • tor

    こんにちは。
    震災の影響は能登だけでなく
    まだまだ道路も山間部の復旧は遅れているようですね。
    被災された方は
    まだまだ不自由な生活をされているのでしょうね。
    再建も大変だと思います。
    いつの間にか春になり
    桜の季節もあっという間に終わりましたね。
    こちらでは桜の開花が予想より遅れ
    ツツジとの共演となっていました。
    すばらしいツツジの公園ですね。
    花だけでは終わらないと思っていたら
    その公園名から大乗寺へと。
    なるほどと拝読しました。
    御多忙のご様子ですね。
    お身体大切に。
    2024年05月17日 17:41
  • tor

    追伸です。
    一緒に登山している後輩が
    珠洲市で能登半島震災支援を行ってきたそうです。
    金沢市に到着し早朝に観光したそうです。
      ↓   ↓
    https://yamap.com/activities/31529233
    ヤマップ会員登録しないと読めないかもしれませんが…
    私が行きたいと思った所を
    早朝にササーっと周ったようです。
    震災支援は大変だったと思いますが
    この特典は羨ましいです。
    2024年05月17日 18:36
  • つとつと

    torさん
    地震の爪痕は能登だけでなく、加賀の活断層や干拓地、砂丘地も刺激したみたいで、場所によって被害が偏っているようです。先日、内灘からかほく市に向かおうとしたら内灘大橋が通行止めで海浜道路にまったりと思わぬところで交通網が寸断されたままです。
    とはいえ、能登に比べれば、加賀は平常ともいえるみたいです。
    能登のボランティアは震災後の制限が尾を引いてなかなか進まないようです。どうも国や県の動きが鈍くて、広報も今一つで歯がゆいばかりです。

    今年の桜は遅れ気味でしたが、満開の期間が短かったように感じます。それでも北陸の春は、一気に花盛りになるうれしい季節。
    大乗寺もしばらく訪れていないので記憶を絞り出した感じです。
    2024年05月19日 22:04
  • アルクノ

    今回は、大乗寺丘陵公園。
    墓地集積地とは思えない見事な公園です。
    咲き始めもありますが、カラフルなツツジが見事。
    小さな紫陽花はヒメアジサイじゃなさそうですが、
    コデマリでしたか・
    映画のロケ地にも選ばれた大乗寺、環境もいいんですね。
    その後の詳細な説明が頭を素通りしていきますが^^;
    曹洞宗の永平寺派と総持寺派は有名で、記憶をよみがえらせました。
    大乗寺の歴史、勉強になりました。

    能登半島地震、復旧もままならず、政府の支援が見えてきませんね。
    自衛隊によるお風呂がとても感謝されているそうで、
    まだそんな段階なのかとため息が出ます。
    2024年05月22日 09:56
  • ミクミティ

    お久しぶりです。
    私も新高岡のイオンでお昼を食べて、金沢へドライブしたことを思い出しました。まだまだ多くの交通網が地震被害から回復していないのですね。本当にお気の毒に思います。
    一方で、大乗寺丘陵公園からの眺望とツツジの風景、実に見事です。
    これは心が洗われます。満開で絵のような光景を見てみたいです。
    それから、大乗寺の歴史もいつもながら深いですね。
    永平寺にも総持寺にもゆかりの深い曹洞宗寺院ということがよく分かりました。勢力争いの歴史に翻弄されながらも、有力者との結びつきで金沢の聖地のような場所になっていることに偉大さを感じました。
    2024年05月25日 12:47
  • つとつと

    ミクミティさん
    高岡のインで食事して金沢に@@多くの人は高速か国道8号を利用するんですが、僕は山越えの359号や304が多いんです。ところがそれはまだまだ寸断されてて、復旧待ちです。勝手知ったるで便利な道なんですが。。
    外来の人にはあまり知られていない、地元の人が好む花の名所の公園が幾つかあるんですよ。金沢だとこことベルギー庭園のある奥卯辰山などが双璧かも。どちらも金沢の市街地が遠望できる好立地です。金沢にこの時季来られたら立ち寄ってみてください。
    大乗寺も古刹ですが、板橋禅師が離れてから徐々に衰退して、将来は厳しいかも知れません。藩主墓所の野田山は歴史好きが良く訪れるのですが、隣接する大乗寺は意外に見逃してる人が多いんです。曹洞宗では永平寺・大慈寺・宝慶寺と並ぶ歴史のある寺院です。禅に興味があれば、立ち寄ってみるのもお薦めの寺院です。
    2024年05月26日 20:46
  • つとつと

    アルクノさん
    金沢には東の大乗寺を含む高尾山系から北にかけては卯辰山系と丘陵帯があって、眺望の優れた自然公園にピッタリ、足腰の鍛錬にも最適でブロ友のgoさんは、山登りの足慣らしにしていた公園で、四季それぞれの花が観られるのも魅力です。
    能登地震は広範囲に被害が多く、交通路と水道管の損傷が足を引っ張っています。更にここにきて、県の仮設住宅の建設も進んできたのに、又問題が・・夏の暑さ対策を考えていなかったという、呆れる事態も@@どうも県の動きと市町村さらに住民に齟齬だらけが見えて、哀しいやら呆れるやら@@
    2024年05月26日 20:58
  • がにちゃん

    お久しぶりです
    相変わらずお忙しそうですね
    つつじ これが満開になったら見事なものでしょうね
    素晴らしい
    今年は花の咲く時期がかなりづれていて なかなか満開に出会えませんでした
    大乗寺も新緑がとってもきれい
    良い雰囲気のお寺ですね 
    2024年05月30日 11:49
  • yasuhiko

    皆さんでツツジのお花見が出来て
    よかったですね。大乗寺公園は、金沢の街並みを
    見下ろす展望のよさが印象的です。
    ツツジの植え込みも階段状になっていて、
    花を見ながらの散歩が楽しそうだと思いました。
    しかし、能登半島地震の被害は石川・富山の道路にも
    及んでましたか。しかも、未だに不通の所もあるとは…。
    今朝も大きな余震がありましたね。被災地の現状は、
    もっと報道されてもいいと思うんですけど、
    知らない事が多くて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
    2024年06月03日 15:18
  • y&m

    ですよねぇ、山岳地帯の道路寸断は復旧に時間が
    かかりますね。道路以外にも崖崩れの対策も必要ですからねぇ。
    ファンシイダンスは面白かったです。(^^♪
    鈴木保奈美さん 出てたんですね。当時は気が付きませんでした。
    予告編を見てても面白さが伝わってきます。
    撮影はそちらの大乗寺だったんですね。当時は何にも考えずに
    笑ってみてました。←反省(^^;
    2024年06月06日 17:05
  • つとつと

    がにちゃんさん
    今年はなかなか花に合わせることができませんでした。丘陵公園は市街地が一望に出来てお薦めの公園です。この丘陵公園は広くて散策路も充実してて、実はご近所ブロガー・goさんの足慣らしの地になっているんですよ。
    大乗寺は板橋禅師が去ってから低迷していますが、相変わらず金沢の古刹として雰囲気を残しています。野田山に隣接してるので藩主墓所巡りのついでに訪れるといいと思います。
    2024年06月12日 11:17
  • つとつと

    yasuhikoさん
    なかなか良い公園でしょ^^眺望の良さは県内随一かも^^金沢近辺の人ならみんな知ってるんですが、遠回りの路線バスか車でないと来られなくて、意外に観光の穴場なんです。おかげで観光の行列が無くていいのやら悪いのやら^^ご近所ブロガーのgoさんも足慣らしに良く訪れてるそうです。
    今回の地震は、石川の道路網・水道網の脆弱さをさらけ出しちゃった感じです。それとどうも県の動きも手探り状態で、同じ県内でも情報が少なくて、どうなのか解らないことが多くて、、、僕のところが県内でも一番揺れなかったこともあって、避難先といえば白山市になって、避難者のお話聞くと自分はまだまだお気楽だなと思ってしまいます。
    2024年06月13日 19:42